1月から3月まで長期に渡って開催してきたDIALOGUES展が終了しました。
第3期「はしのまち」のレビュー記事ができましたのでアップします。 DIALOGUES展 ~ダブルスx3連続国際展~ 第3回展2015年2月27日(金)-3月14日(土) サム・ストッカー(イギリス・東京) x 近藤恵介(東京) 「はしのまち」 会場:NICA: Nihonbashi Institute of Contemporary Arts NICA(Nihonbashi Institute of Contemporary Arts)で開催されている第3回「DIALOGUES展~ダブルス×3連続国際展~」は、「はしのまち」(2015年2月27日~3月14日)をテーマに、サム・ストッカー(ロンドン・イギリス/東京・日本)と近藤恵介(東京・日本)による展示が、キュレーター嘉藤笑子によって開催されました。 オープニング・レセプションでは、上運天純一/池田哲、ジャック・マックレーン、アキレス・ハッジス/レネ・ヴァン・ムンステル/サム・ストッカーら3組によるライヴ・パフォーマンスが展開され、展示スペースはノイズ・ミュージックと不条理劇からなる仲春の宴を迎えることとなりました。池田哲のエレクトリック・ギターと上運天純一のサクソフォンによる至極のサウンド・パフォーマンスが行われました。その後、グリーンとオレンジのマスクをかぶった「悲しいピエロ(Sad Clown)」に扮したジャック・マックレーンが登場し、バルーンに火をつけて破裂させるというコミカルなハプニング・ショーを演出し、展示スペースを演劇空間へと変えていきました。最後に登場した3人のユニットは、アキレス・ハッジスが自家製エレクトリック・インストゥルメントを弾くと、レネ・ヴァン・ムンステルのバロック・チェロが応答し、サム・ストッカーが自作の「DIALOGUESはし」に関わる言葉をパワフルに叫ぶのでした。こうした華やかなパフォーマンスのよるアンサンブルが観衆の歓談のなかで披露されました。 本展覧会は、サム・ストッカーの「DIALOGUESはし」と題されたインスタレーション作品と近藤恵介の「私とその状況(DIALOGUES)」と題された絵画作品3点から構成されています。サム・ストッカーの立体は、1911年に石造二連アーチ橋として完成した日本橋の設計図から導かれたドローイングに基づいて、過去に使用してきた作品素材や身近にあった廃材、そして「第1回 DIALOGUES展(“ひかりのまち”)」からリユースした角材など、誰かの手を経て、その記憶が残る木材や化学繊維などがマテリアルとして使われました。日本橋の風景が形式的に抽出され、日本橋川と首都高速道路からなる垂直的な空間構成と橋脚やビル群などからなる水平的な空間構成が重ね合わされ、格子状の建造物は絵画的な平面として再構成されていることがわかります。オープニングでストッカーが朗読した引用文(付記1を参照)や流用された木材の腐食や損傷からは、明治期の近代化から昭和期の高度経済成長を経て現在へと至る歴史的な時間性が凝集していることもわかりました。 その一方で、近藤恵介の「私とその状況(DIALOGUES)」と題された3作品では、江戸切り子のように明晰で繊細に描写された日常品は脱臼された線の交差と時とともに変わる色彩の区画を浮遊します。鳥の子紙を張ったパネルに描かれた「私とその状況(DIALOGUES,1)」では、岩絵具、水干、膠で塗られ、また水で洗い落とされた、薄く淡い肌色、桜色、若芽色、白菫色といった淡みのある色彩と虹色、若菜色、草色、菫色、薄墨色といった深みのある色彩は、砂色あるいは鳥の子色の区画線を越え、パネル間にできたスプリットの影を跨いで遷移するなかで瑞々しさをまといます。また、4連パネルからなる「私とその状況(DIALOGUES,2)」では、彩色の区画線は抽象化された屏風の内外を区切る縁に、またスプリットの影はパネルを連ねる大背(蝶番)に見立てられ、素色、乳白色、褐色のモザイクの大鉢から伸びる常盤色の蘇鉄や均整のとれたケースに配された水色や空色のモザイクのコップなどが描かれた画面を扇として、また全体では一隻四曲の屏風のようなものとして成立させます。 単パネルの「私とその状況(DIALOGUES,3)」では、砂色または鳥の子色の線は区画線、縁、大背などを併せ含んだ桟となり、サム・ストッカーの構造物を模した憲法色の格子や瑠璃色や淡藤色のモザイクの小器といった日常品の前景/後景に折り込まれた枠(フレーム)として形式化されることになります。「私とその状況(DIALOGUES)」をめぐる3作品では、その表題が示すように、自我と時間/空間の応答関係は線と面からなる2次元的な状況において形式化され、置換され、転換され、変換されることで、その時々の様相を変えていきます。その結果として、江戸期の数寄屋造りから近現代期のフォルマリズムへと進行し、鎌倉期の屏風、平安期の絵巻物や借景へと遡行するなかで、「枠(フレーム)」という美学上の古典的なモチーフの多義性は再-定式化され、「日本の絵画」をめぐる歴史は軽やかに更新されることになります。 また、後述するウォーキング/トーキングのイベントに参加することで、本展示における2人の作品の間で交わされた「DIALOGUES」への解釈はより広がることとなります。サム・ストッカーの「DIALOGUES はし」と近藤恵介の「私とその状況(DIALOGUES)」が対置された2人展としての「DIALOGUES」の展示スペースでは、都市の風景や意匠は格子や枠からなるインスタレーション/絵画としてのアートへと抽象化され、江戸期から現在へと至る歴史的な風景の構造が再構成されました。栄耀を極めた江戸期の都を生きた人々、明治期の維新と大正期の民主化に湧く帝都を駆け抜けた人々、昭和期の戦争と震災の闇を生きのびた人々、そして平成期の情報都市のなかで平坦な消費を繰り返す人々。歴史的な風景は、腐食し、傷を孕んだ木材とともに、あるいは深みのある瑞々しい絵具の輝きとともに、それぞれの時代の都市空間を彩る四季折々の気配へと姿を変えて、展示スペースのなかで構造化されていきます。 展示スペース内で試みられたインスタレーションと絵画の紙片の実験的な組み合わせは、「DIALOGUES」の時間の滞留を感じさせる格子状の建造物のなかに色彩感の豊かな絵画作品としての広がりを備えさせ、「私とその状況(DIALOGUES)」の枠(フレーム)が多様な仕方で織り込まれた絵画のなかに立体感のあるインスタレーション作品としての奥行きをもたらします。また、インスタレーションと絵画の格子/枠は日本橋一円の都市風景を純粋な入れ子空間として現象させることで、都市のマトリクス(母体-原型)のようになって観衆を包み込みます。その都市のマトリクスは来るべき公共圏の青地図となって、日本橋という地域の忘れられた過去とまだ見ることのない未来の階梯となり、格子/枠の縁端の向こう側に交通空間としての風景を出現させることになりました。 さて、本会期中に「はしを探るアートのはなし」と題されたイベントが開催されました。このイベントはガイドを行う嘉藤笑子、およびサム・ストッカー、近藤恵介、スザンナ・ハートリッチ(アーティスト)、丹羽良徳(アーティスト)、緒方恵一(NPOアートフル・アクション代表理事)らとともに、日本橋をめぐるエピソードや周辺アイテムを見極めていきながら、「はしのまち」の展示作品と現実の日本橋エリアとの関係性を探るものでした。初めに街歩きをしてから、Creative Hub131の3階「社員食堂」にて、アーティストらの意見交換やウォーキングを振り返る「クロストーク」が行われました。 「クロストーク」では、キュレーターやアーティストなどによるプレゼンテーションがなされ、カジュアルな雰囲気のなかでディスカッションや交流会が行われました。まず、嘉藤笑子は葛飾北斎の「富嶽三十六景」(1823-1835年)や歌川(安藤)広重の「名所江戸百景」(1856-1858年)のなかで表象されてきた日本橋/江戸橋をもとに、江戸時代の浮世絵における遠近感の表現について解説しました。また、明治時代の写真や資料を通じて、大がかりな橋の架け替えと時代の変遷に言及しながら、近世への決別や殖産興業を中心とする近代化のうねりなどについて解説しました。そして「名所江戸百景」のなかで描かれた「大てんま町木綿店」(第7景)や現在の大丸の起源となる「大伝馬町ごふく店」(第75景)といった2枚の大伝馬町の浮世絵や安政5(1858)年の古地図などとともに、NICAやCreative Hub 131の所在地を約160年前の風景に寄せて振り返りました。次に、スザンナ・ハートリッチは2012年にトーキョーワンダーサイト青山で林智子(アーティスト)とジュリアン・ウォラル(建築史・都市史)とともに行った「QUEST FOR A TOKYO IDYLL WORKSHOP」のプレゼンテーションをあらためて供覧し、東京から眺められる富士山と都市風景のかかわりをめぐるリサーチから、ラテン語で「形式」や「心象」を指す“idyll”(英語では「田園風景」「幸福」「平和」などの意)というコンセプトを抽出したうえで、都市風景の知覚や体験を地域の歴史認識とともに集合的な記憶や未来像へと空間的/時間的に転換するための手法・装置の構想について説明しました。 サム・ストッカーはペインティングやデジタル・ヴィデオといったメディアでの制作経験をふまえて、「名所江戸百景」に描かれた火の見櫓、安政期の古地図、日本橋の設計図のアーカイヴなどに見られる格子(グリッド)への関心を示し、本展示での近藤恵介との対話に基づいた協働作業のプロセスについて述べると、近藤恵介はサム・ストッカーのインスタレーション作品から読み取った「日本橋」の抽象的なイメージをもとに建築物の構造や都市風景の意匠からなる多層的なレイヤーを配置・構成するという絵画作品における制作のプロセスについて紹介しました。本展示の制作プロセスへの応答にかえて、緒方恵一は映像的建築(シネマティック・アーキテクチャ)を探求・表現する視点から、日本橋一円における観光の中心である日本橋と交通網の中心である江戸橋を「インターセクション」として機能する都市風景として解釈したうえで、本展示の試みを建築/絵画の都市風景への領域横断的な試みとして論評しました。 そして、丹羽良徳(アーティスト)は国内外でイデオロギーや価値の交換または揚棄などをめぐる社会的な介入をともなうパフォーマンスを行ってきた経験をふまえて、「日本橋」とかかれたプレートが日本橋自体にではなく高架の首都高速道路に設置されていたというウォーキング・イベントでの気づきをもとにして、グローバリゼーション下におけるダイナミックな資本の運動とともに変容する都市空間や人々の生活と物語の多義性について言及しました。その他にも、参加者からは、制作・展示・ウォーキング・ディスカッションという一連のイベントのプロセスのなかで、アーティスト、オーディエンス、キュレーターそれぞれが他者との対話や現実の風景から創発される偶然性(コンティンジェンシー)に触発されることで、アートとコンセプトとコンテクストの関係性、そして場所の固有性(サイト・スペシフィシティ)とそれを支える地域性(ローカリティ)などについて再解釈を行い、より多様的な解釈に開かれた表現活動を行うことが可能になるといったコメントなどが寄せられました。 最後に、嘉藤笑子は本展示について、アーティストの2人のコンストラクションへの関心に基づいて絵画と彫刻というメディアの対話を試みるなかで、空間表現として平面作品へのアプローチが可能であること、インスタレーションでありながらも絵画に近づくことが可能であることなどについて述べました。こうした対話のシチュエーションやコンディションをつくるうえで、ウォーキングやディスカッションといった付随するイベントを開催できたことをポジティブに評価し、全体の議論をまとめました。さらに、「ひかり」「かわ」「はし」をテーマとした計3回からなる本DIALOGUES展を振り返り、「日本橋」という固有の地域性にとらわれることなく、地域プロジェクトをグローバルな視点へと広げるなかで、本格的な国際展を行えたと話し、今後のDIALOGUES展を継続する必要性について語りました。 ―――――――――――――――――――――――――――― <付記1>近藤恵介作品――「私と状況(DIALOGUES,1)」(S10パネル2点:53×106cm/岩絵具,水干,膠,墨,鳥の子紙,板,2015)、「私とその状況(DIALOGUES,2)」(S10パネル4点:53×212cm/同前)、「私とその状況(DIALOGUES,3)」(S10:53×53cm/岩絵具,水干,膠,墨,鳥の子紙,2015) <付記2>サム・ストッカーのパフォーマンスでは、以下の文献が選ばれ、朗読されました。日本橋が石造二連アーチ橋として完成した1911年と首都高速道路が完成した1964年という西暦に主に着目して、『白へびの巣(The Lair of The White Worm)』(ブラム・ストッカー/1911年)『メディアを理解すること:人間の拡張(Understanding Media: The Extensions of Man)』(マーシャル・マクルーハン/1964年)『かくこと(In His Own Write)』(ジョン・レノン/1964年)『アートにおける精神性について(Concerning the Spiritual in Art)』(ワシリー・カンディンスキー/1911年)、またウィンストン・チャーチルによる外国人法(Alien’s Bill)についての言及(1911年)やエリザベス・レコンテのインタビュー「アートから劇場へ(Art into Theatre)」(1993年,1995年)などの引用をもとに、パフォーマンスが行われました。 <付記3>日本橋周辺のウォーキングは、日本橋魚河岸跡(乙姫広場)⇒日本橋(装飾顧問:妻木頼黄、装飾:渡辺長男ほか)⇒三越前駅(東京メトロ)構内「日本橋周辺 航空写真」(1944年・2006年)⇒三越日本橋本店「+ART ARTとある暮らし」⇒「熈代勝覧」(ベルリン国立アジア美術館所蔵、名橋「日本橋」保存会・日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会)⇒COREDO室町、福徳神社(芽吹神社)「豊年萬作之圖」(五風亭貞虎作/福徳神社所蔵)⇒小津和紙⇒寶田恵比寿神社⇒馬込勘解由屋敷跡⇒蔦屋重三郎「耕書堂」⇒NICA(地下1階)展覧会に到着するコースとなりました。 ※計3回のDIALOGUES展レビューは嘉藤笑子(キュレーター)からの依頼を受けて、F. アツミ(編集・批評/Art-Phil)によって執筆されました。 (DIALOGUES展編集室/Art-Phil) Photos of the exhibition by Michiko Isono
by a-a-n
| 2015-04-15 18:44
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